「台湾北東部・礁渓温泉・文山温泉研修の旅」 2003年1月19日〜22日 3泊4日 |
畑の開墾中に湧き出したというだけあって、台湾唯一の今も稲穂に囲まれたホテルである。この温泉には10年ほど前に台北から列車で来て、駅近くのホテルに入浴に来たことがあるが、部屋の浴室での温泉入浴で、あまりにも味気ない温泉浴でがっかりした記憶がある。今回は二度目の訪問となる。
前回来た時は、いかにもひなびた温泉地という雰囲気を感じたが、近年の温泉ブームで、駅周辺のホテルは「川湯温泉養生館」「麗翔温泉客桟」など温泉プールで遊ぶ家族らで賑わっている。日本と異なり、温泉というと台湾では水着を着けてのプール遊びとなる。 翌日礁渓温泉の実態調査にタクシーを駆って出かけた。午前6時30分、フロントでこれから見たい所の場所「温泉溝」「蘭陽温泉大飯店」「公共温泉遊泳地」「湯の城」を漢字で連ね、1時間で700元で頼んでくれるよう交渉した。
「多機能室内水療設施」とあり、スイッチを押すと、手前の浴槽はジャグジーになる。別のスイッチを押すと、底からひいたパイプから通した湯が鍵型に曲がり、湯面に強く吹き付ける。つまり打たせ湯だ。露天風呂もある。 更衣室やロッカーは勿論、パウダールーム、休憩ラウンジも完備。予約でマッサージも大丈夫だ。
岩風呂露天風呂 露天風呂に一人で入る。8m四方はある湯船、シャワーが6個ついているだけで石鹸やシャンプーはない。パンフレットの写真には手桶にタオルが載せられている様子があるので、持参するのだろう。岩風呂露天風呂の他にタイル風呂、檜風呂、美容室もある。 この周りには、温泉を利用した温泉栽培でクウシンサイ(空心菜)畑が多く、礁渓の名産となっている。6時30分に湯の城を出て、10分でホテルに着く。 |
2泊目 太魯閣(タロコ)渓谷奥の秘湯 文山(ウェンシャン)温泉 ホテルを8時半に出発し太魯閣渓谷を目指す。昼食をとるのに太魯閣渓谷入り口を一旦通り過ぎ、東洋大理石工場に入る。ガイドの曾さんには、昨日から太魯閣渓谷奥の天祥で私を降ろしてくれるよう頼んでいた。出来れば日本語の話せるタクシー運転手を手配してほしいと・・・。台湾随一の景勝地・大理石を侵食して作り上げた約20キロに及ぶ太魯閣渓谷の断崖絶壁の眺望がすばらしい。蒋介石が大陸から連れてきた兵隊の失業対策として、わずか4年で東西横貫鋼公路をほぼ人力で完成させたというから驚きだ。
車窓にはいかにも温泉入浴に行くらしい老若男女が歩いている。5分も走ると直近の泰山トンネル手前の駐車場に駐車して李氏に待ってもらう。トンネル横の小道を下る階段やトンネルを抜けると真下に絶壁のふところ深く、渓流をコンクリと隔てた露天風呂が見える。これが秘湯文山温泉だ。つり橋を渡り階段を下って川原に下りる。これまでのガイドブックでは、降りて左に行くと間口4m奥行き4mの熱い48度の露天が・・・とあるが、川原に降りると直ぐ無色透明のぬるい湯船が、隣には白濁色の熱めの湯船がある。いずれも水着姿の入浴客がそれぞれの肢体をさらしている。 どこで水着に着替えるのか?左奥露天手前の大岩の手前で川原にお尻を向けて海水パンツに着替える。もう誰が見ていようが知ったことではない。白濁色の露天風呂でしばらく様子を見る。川原で水遊びをしているものも居る。湯が川原から出ているようだ。 時間的に湯船の湯はちょうどよい湯加減なのかも知れない。運転手の李さんによると、日や時間により温泉の色が変わり普段は白濁色だというが、彼は入浴したことがないのだ。弱アルカリ性炭酸泉の文山温泉の発見者は、1914年(大正3年)旧日本軍の深水大隊長で、そのためにしばらく「深水温泉」と呼ばれていた。帰りの上り階段の苦しいこと、つり橋の手前に更衣室が2箇所あった。とても間に合わないので、階段の脇に下のほうに仲間がバスタオルを広げて着替えを助けていた。長い階段の足元に日本語の「がんばりましょう」「がんばろう」中国語の「辛苦了」などの言葉が書かれている。それにしてもこんなに賑わっているとは、秘湯とはいえなくなってきた。 アクセスは、天祥バス停から花蓮客運バスが7時50分、11時10分、15時40分の3本で、所要時間5分。20元。逆の天祥へは、文山バス停から8時35分、16時35分、18時15分の3本。天祥にある5つ星ホテルの天祥晶華度假酒店(グランド・フォルモサ・ホテル)から文山までのシャトルバスも出ている。花蓮駅又は花蓮空港までの送迎バスもある。 |
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