マツノヒデマサの

2002.4 記 

温泉巡浴INDEX

 500湯を達成したのが1989年、1000湯を達成したのは、それから13年後の2002年4月でした。600湯が1991年、700湯が1993年、800湯が1997年、900湯が1999年で、年平均38湯となります。初期の頃は年70ヶ所ほどを目標にしていましたが、流石にこの不景気に仕事第一でそのペースは守れなかったようです。

      


  温泉巡浴記録のいくつかの基準を決めておきました。@浴槽に胸まで浸かり、1分は入っている事。これは温泉愛好家によっては、湯船がなくとも湧いている湯をタオルで浸してもその数に含めるという人もいますが、それは入浴したとは言わないという解釈。A同じ場所に何ヶ所かの泉質の異なる源泉があっても、それは1ヶ所とする。Bこれは矛盾するかとも思いますが、源泉を引き湯して温泉街を作っている所は、別の温泉地として扱う。としたカウントをしてきました。これに外れてしまう所は、たとえわざわざ何時間かけて行ったとしてもカウントされないという情けない思いをしたことも少なくありません。

 印象深かった所を書きとめてみました。1990年7月、家族で日本百名山・美ヶ原高原、四阿山登山をした時、四阿山高原にあずまや高原ホテルが建設中でした。下山してホテル前のバス停で待っている時、天然温泉だと聞き、フロントに行き「温泉入浴したいのだが」と頼んでも、「まだ営業しておりません。」の一点張り。ロビーにいると、工事の方が「何をしているのか?」事情を話すと「なーんだ。地下1階の大浴場は完成しているよ。いっといで。」との声に勇んで行くと地下の大浴場には満々と湯が溢れていました。長女の藍に入り口で待つように言って、私はすばやく衣服を脱ぎ捨てて、どぼーん。こうして私は初めて、開業前の温泉に入浴することができたのでした。

 1993年6月に、添乗の仕事で黒部峡谷鉄道に乗り欅平まで行きました。この機会を逃さず、欅平温泉猿飛山荘と徒歩10分の所にある名剣温泉に入浴してきました。鐘釣温泉は別の仕事の時に鐘釣駅で下りるコースを作り、添乗でお客様と渓谷天然岩風呂温泉に入りました。とても透き通る温泉で、お客様に写真を撮られて、大事なものがまる見えで写っている写真を見せられ、この思い出は何年か先まで酒の肴になってしまいました。

 1996年8月に北海道南部・ニセコ周辺の温泉巡浴に行き、23ヶ所踏破しました。長万部の二股ラジウム温泉は高濃度の炭酸カルシウム含有量が世界有数といわれ、後にこの温泉地で形成された湯の華を利用した温泉グッズ「美石の湯」(湯船に浮かべて温泉気分)が脚光を浴びています。同じく一軒宿・銀婚湯の名前のルーツは先々代の川口福太郎氏がこの湯を掘り当てた日が、大正14年の大正天皇銀婚式の日だったとか。そんなことから次第に銀婚の記念に訪れるお客様が多いといいます。私どもも妻と「銀婚の時にはここに来ようね」と約束をしましたが、その時が近くなると、「わざわざ北海道まで行くには、費用が大変ね」と、とうとう行きませんでした。

 2000年5月に旧友と宮城県と秋田県県境、栗駒山南麓の温泉巡浴の旅に出かけました。5月とはいえまだ残雪があります。特にランプの宿で知られる湯ノ倉温泉と湯浜温泉は楽しみでした。湯浜は国道398号線沿いのはずが、雪のため入り口がわからず、翌日に再度挑戦しました。雪の上に箱があり、それを空けると長靴が何足か入っていました。「長靴に履き替えてお越しください」のメモが。そこから渓谷を下り、露天風呂のある一迫川源流を渡り、ようやくたどり着きました。この宿の案内に、「夜空を埋める満天の星」とありました。「確かにそうだろうな!」と実感できた宿でした。前日宿泊した泥湯も印象深い宿でした。旅行中に携帯電話で、当日宿泊できる宿を昼から探していたのですが、連休中なので全く駄目で、ようやく取れた宿が泥湯温泉の湯治宿・滝の湯豊明館でした。暗く陰気な布団部屋のようでトイレ・テレビ・冷蔵庫がなく料金の割りにひどい宿だなとの印象でした。早速お酒を買いに表に出て、1軒しかないというお店で山形の地酒を買い、それをぶら下げ共同露天風呂に行きました。川畔にある露天風呂は白濁色で高温の硫化水素泉、いかにも万病に効くという評判の二つある湯船に浸かり、お酒をぐいぐい。そのうちに地元のお兄さんたちが3人来たので、お酒のおすそ分けをして帰りました。翌日も部屋の寒さに耐え切れず、早朝5時に再度共同露天風呂へ。そこへ年配のご夫婦が入ってきました。対岸のまだら雪の風情が、いかにも湯治気分にさせてくれました。
 
 2001年8月、旧友と秋田・青森県ローカル五能線の旅を楽しみました。東能代駅から始まる五能線に乗り、不老ふ死温泉、みちのく温泉、鯵ヶ沢温泉、さらにレンタカーで森田温泉、おらほの湯、津軽地球村、稲垣温泉、五所川原・銭湯の磯乃湯温泉を巡浴し、青森のねぶた祭りにも遭遇しました。ローカル線の醍醐味は、時間の流れが違うことです。お昼時間帯の待ち時間の駅舎に売店はなく、食事ができません。仕方な駅舎を出て、食料品店と酒屋から食料を仕入れて座席に戻り、小宴会が始まります。


 温泉巡浴の記録は、職業が旅行業とはいえ特別の努力をしなければ記録は伸ばせません。添乗の仕事が多い時期、1983年頃は年間120日、1993年頃は100日添乗で家を空けていました。勿論一度泊まった宿に泊まることが多く、長野県の山田温泉藤井荘には一時、続けて6〜7回連続して宿泊し、「明日、又来るね」との挨拶で宿を後にしたものでした。でも、一度入浴した温泉は何回宿泊・入浴しても1ヶ所としかカウントされません。仕事ではいけない、例えば大型・中型バスでは入ることのできない、辺境の温泉地や歩かなければ行くことのできない山の温泉地はそれなりの装備や交通機関で行かなければなりません。

 脚力が衰えて登山から遠ざかると、今まで平気だった頚椎を痛め、その関係で左手先がしびれてきました。やはり歩いて筋力を鍛えなければとの思いから、1999年10月から東海道53次を歩き始めました。日本橋から歩いて繋ぎ、2001年3月京都三条大橋にたどり着きました。2001年9月からは中山道69次を歩き始め、2003年5月現在岐阜県の伏見宿まで来ました。2002年6月から併せて旧青梅街道を歩き始め、同じく奥多摩湖まで来ました。そのルート上の温泉も当入浴することになります。

 実は1000湯目の温泉は、中仙道を歩く途上での温泉地でした。妻と木曽福島から野尻宿まで歩いたときの宿が「鹿の湯温泉かもしか山荘」です。木曾五木に囲まれた一軒宿、源泉9.7℃の単純二酸化炭酸冷鉱泉で、野趣に富んだ雑木林の手造り混浴露天風呂、数々の鴨料理には、驚きの声がでました。1000湯踏破記念にふさわしい宿の記録を刻みました。(2002.4.マツノヒデマサ記)

               
                   1000湯達成記念の宿      「鹿の湯温泉かもしか山荘」
HOME   マツノヒデマサの温泉巡浴紀行