マツノヒデマサのマレーシア温泉巡浴
2003年8月29日〜9月4日 |
2003年7月末、ファックスでマレーシア観光局から「マレーシア メガファム・ツアー招待」案内が届いた。先着15名というが、日程がちょうど添乗の仕事が絡んでいなかったので、申込をした。締め切りの過ぎ、忘れた頃に「70名の応募があったが、A・B班にわけて、全員を招待する」との知らせに驚いた。 8月31日が46回目のマレーシア独立記念日で、毎年世界各国の代表を招いてクアラルンプールの独立広場でイベントが開かれる。日本ではマスコミ界と旅行業界に声がかかったというわけだ。 8月29日10時30分、まず私たちA班25名が、MH89便で成田空港から飛び立った。機内はとても寒く、乗務員の作業の都合で調整しているのかと、抗議したいほどだった。クアラルンプール国際空港到着口が集合場所で、16時16分に到着してからシャトルバスで移動するので観光局の永田聡子さんらに会えるまで、多少不安が募る。予定の時間より早く着いたせいか、迎えのガイドが遅刻。すぐ参加者からは「ガイド失格だ」との声が飛ぶ。 ガイドのジイ(余・gee)さんのガイドを聞きながら、バスでクアランプールのMutiara Hotel(ムティアラホテル)に向かう。元油椰子畑だったところを走り、人口2500万人(3年で200万人増える)のクアラルンプールに到着し、すぐチエックイン。私は16階の1623号室で、改装して今日が初日とかのツインのシングルユースの豪華気分を味わえそう。旧ヒルトンを買い取ったとか。バスタブの他にガラス張りのシャワールームがある。バスタブの横にあるスライド式の戸を開けると、リビングが見えるような構造で開放的だ。トイレはウォッシュレットではなく、右後ろに手動のビデ?があったので、それをウォッシュレット代わりに利用させてもらった。
14時30分、元ガイドの通称Dixon(ディクソン)氏が車で迎えに来る。クアラルンプール北東10kのアイパナス ホットスプリング(Airpanas Hotspring)マレー語で温泉の意味だ。道に詳しいようで、狭い道をぐんぐん進む。今日は独立記念日の前夜祭、休日なので道路は車で混んでいる。集合住宅に到着した。正面に「資源温泉公寓」の看板が掲げられる。公衆浴場風の建物があり、そこから流れる温泉が広い楕円形のプールのようなところに湯が貯められている。底が汚れていて、なんかドブ匂い。大昔からあった硫黄泉というが硫黄臭は無い。
80年前までは、野っぱらにただ穴があるだけの素朴な温泉で、20年前は井戸の穴のようだったという。ガイドと個室浴場に行く。デクソン氏もしっかり入浴する態勢だ。個室は男女各10ヶ所ある。湯船は縦30cm×横80cm×深さ100cmとても狭く、公衆トイレ男子用の造りで、入り口に木のドアがある。入浴するのに躊躇してしまう。ディクソン氏は「どうだ。狭いがいいだろう?」とどこからか手桶を持ってきた。42度位のちょうど良い湯加減。建物入り口にタイル造り洗面場のような所の方が広く明るくていい。133軒の集合住宅の管理で、居住者は無料で利用できる。部外者はお土産を持ってくるか、寸志を戴くという。集合住宅は1.5DKのシャワー付きだそうだ。
入浴後、入り口に露店で喫茶・軽食を営業しているディクソン氏の友人劉(りゅう)氏を紹介してくれた。コーヒーをいただきながら話を伺う。彼はこの集合住宅に住んでいる。日本に8年間建築関係の仕事をして金をため、この住宅を19998年に350万円で購入した。この湯は午前11時と13時30分に熱くなり、湯の華も出るという。 そのうちに管理人の黄栄氏が現れ、握手を求められる。またさらに日本で17年間板関係(建材か?)の仕事をしていたという黎氏が現れ、4人そろって浴場議論を始めたらしい。デクソン氏によると、「私は有料にしても良いから、狭い浴室をもっと広く建て直したらと提案しているんだが、管理人は予算が無いからといって、駄目だ」と興奮している。
15時45分ようやく重い腰を上げ、次の温泉地さらに10キロ北のフライアングを目指した。マレー人の町ゴンバを通過、不法投棄のごみの山がある。タバコのポイ捨てやごみの投棄は、500リギット(1万6千円)の罰金が科せられる。イポー方面へ方向を向ける。「イポーという町は美人が多い町?」と聞くと「そんなことは無い。心の問題でしょ」道路を左折した原っぱに車を止める。スラヤングSerayangに到着か。 原っぱの一段と下がったところに、コンクリで囲った大きな湯船が二つ、右手のは澄んでいるが、左手のは濁っている。上流が工事中なのと前日の大雨でこの周りは泥だらけでそのせいだろうという。車で水泳パンツに着替え、泥だらけの地面を歩いていく。
クアラルンプールへの帰りに、来る時に通過したヒンズー教徒の聖地パトウ洞窟を見学した。急な階段を272段を登ると大鐘乳洞の洞窟のあちこちにヒンズーの神々が祭られている。
ホテルで19時に夕食をとり、20時に独立記念広場で行われるメガファム前夜祭に出発。17時からイベントが始まっていて、カウントダウンの12時、その後の花火を見て市民は家路に急ぐという。独立広場の周辺は市民でごった返す。バスを降りてすぐ入り口でイベント用品を一袋渡される。マレーシア国旗が2つ。ひとつは点滅ライト付き。大きな懐中電灯などが入っている。
カウントダウン時は、マハティール首相ら要人が舞台に上がり会場総出でコール。独立記念日をこうして迎えられるマレーシア国民がうらやましい。 8月31日今日が独立記念日で、早朝からイベントが続くが、昨日深夜までがんばったので、イベントはお断りし、市内観光に変更した。王宮、レークガーデン、国立モスク、独立広場を見学。途中ディクソン氏に電話をし、午後2時からマラッカと温泉に行きたいからガイドをお願いした。昼食は13時にツィンタワーの前のNorth Blockの中華レストランで北京ダックをご馳走になる。
ディクソン氏と合流したのが14時20分。高速道路に乗り、アルガジャインターまでタンピン方面に向けて走る。見渡す限り山々の油椰子畑などのいかにもマレーシアらしい風景が続く。
さらにいくと今度は、マレー半島の高床式家屋を見学させてくれるおばあさんの家に行くという。彼はかつてガイドをしていた時に、よくそのおばあさんの家に観光客を案内していたらしい。風が良く通る大きな家で、息子たちは、シンガポールやクアラルンプールに行ってしまい、「私はマレーシアらしいここで過ごしたい」と一人住まいだ。ちょうど息子や孫たちが帰っていて、椅子などを外に出して大掃除をしているようだったが、お構いなしに上がりこんで、室内を見せてもらった。高床は何のためか?と聞くと、「蛇がいるので、四角い柱だと蛇が上がってこれないのさ」彼はおばあさんに断って、広い庭に聳えるるランブータンの木に長い棒でランブータンの果実を取り、食べさせてくれた。
この辺り、昔は米の産地だったが、今は北部のタイ近くに残るのみだという。高床式の家屋が散在する道路を走り、 いよいよアルガジャ温泉に到着した。 道路に面していてレストラン併設で、簡単な遊園地もある。AIR PANAS GADEKの看板がある。入り口で一人4リギットを支払う。左奥に個室の男女各4ヶ所の入浴施設がある。角にシャワーとトイレ。湯船はタイル張りで、横1m×縦2m×深さ1m、中央の蛇口から湯が注がれる。様子が解ったらすぐに露天風呂に移動する。靴箱が無いので靴を持って移動する。露天風呂と屋根付きの東屋風休憩所ではお客が大勢たむろしている。日本人が来るのが珍しいのか注目の視線が投げかけられる。
中国寺院清雲亭 建物の色彩があざやかなアルカジャの町を通過し、いよいよ歴史の町マラッカ。中心地には車では入れないので、駐車場に置き徒歩で観光。チャイナタウンに入るとそろそろ露天商が店を出す準備中で、観光客が徐々に増えるのがわかる。1646年建立、マレーシア最古の中国寺院青雲亭、並びは骨董商や民芸品店、仏具商が続き興味を引く。 仏具商 マラッカ川を渡るとレンガ色に統一されたかのような鮮やかなレンガ一色。セイコー製の時計台、1650年にオランダ総督らの住宅で東南アジア最古の建築物スタダイス、1735年オランダ建築様式のキリスト教会など。 キリスト教会 丘を登ると目の前にフランシスコ・ザビエルの石像が、1521年にポルトガル人に建てられたセント・ポール教会が残る。サビエルの遺骨は、ここに9ヶ月間安置された後、インドのゴアに移された。床に埋葬跡が金網越しに見られる。 セント・ポール教会 この地からのマラッカの夕陽が美しいと聞いたが、まだ時間が早い。丘を反対側に下ると、1511年にオランダとの戦いに備えるポルトガル人によって造られたサンチャゴ砦。大砲に並びサンチャゴ砦の背景が絶好の撮影スポットになっている。 サンチャゴ砦 195 大砲に並びサンチャゴ砦の背景が絶好の撮影スポット 美しい夕陽を待っている丘 日本人の女性二人が丘の上の芝生で夕陽を待っている様子を見て、我らもとまた坂道を登ったが、まだ夕陽は当分時間がかかりそうなので諦め、19時20分マラッカを出る。 後は運転をディクソン氏に任せ、温泉入浴とマラッカ散策の歩き疲れで、ホテルに着くまでほとんど熟睡状態だった。 マラッカの町並み ホテルには21時30分着。ジイさんに電話しておいたので、ホテルの夕食バイキングレストランに直行、ビールに中華食でマレーシア3ヶ所目の温泉巡浴に乾杯。これで海外温泉は、28ヶ所になる。クアラルンプール周辺には温泉がないと思っていただけに、感激もひとしおだ。 (2003/09/20 マツノヒデマサ) |
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