マツノヒデマサの
日光街道・奥の細道を歩く

日光街道を歩く 第9回
上徳次郎〜東武日光駅
2006年5月9日〜10日
       
 5月9日21時30分新宿南口発の宇都宮行きのハイウエイバスに乗る。乗客は10人ほどで横4人列の普通の大型バスで、リクライニングが十分に倒れず、苦しい体制で、10日午前0時17分JR宇都宮駅西口に到着。前回宿泊したパークプラザ宇都宮(カプセルホテル)に向かう。
 翌日、6時に目覚めて、あわてて顔も洗わずに宇都宮駅バス停に行く。霧雨なので、コンビ二で傘とオニギリを購入。日光・今市方面の路線バスの始発6時20分発に乗る。6時50分、前回雨天で引き返した上徳次郎で降りる。

     

                          開墾記念碑
 
 天気予報では曇りなのだが、霧雨が降っている。桜並木の花壇は、前回の葉桜からツツジに替わっている。舟生方面への分岐点、左手は田植えが終わった田んぼが続く。並行して走る道路は、日光宇都宮道か。7時02分、開墾記念碑と十九夜塔、左脇に小仏像2体、周りは紫色の花が咲き乱れる。右手に石那田の一里塚があるとされるが見つからない。しばらく林檎畑に変わる。猪倉街道入り口を7時14分通過。石那田バス停すぐ先左手に石仏あり。狭い側道で対向する自転車乗りの中学生は避けてくれたことに皆会釈をしていく。又、30mも先から小学生の集団が私を見かけて、「おはようございます」と遠くから挨拶をする。これには驚く。この地方の地域や学校ではそうした挨拶励行をしているのか。左右に杉林が目立ってくる。

 
 トリコールケーキ屋と石うす引き蕎麦屋が隣接する(松木)先に地蔵尊がある。ガイドブックでは「うらない仏」と紹介され、大谷石でできた石仏で台座に3個の丸い石が置かれ、この石仏に願いを掛け、そのどれかを持ち上げて、軽く感じれば願いがかなうといわれる。
 享保10年(1725年)とあるが、実際にここに掲示されているのを読むと「享保15年(1730年)、疫病に苦しんだ折、地域の人々により石仏が作られ、人体の悪いところと仏の同じ場所に赤い布をつけて願い事をすると不思議に治ったという」とある。うらない仏とは書いていないが、同じ地蔵尊であろうか。


 500m先に石の鳥居、新渡(にわたり)神社があり、対面に上小池の一里塚があるはずだが、確認できない。左手にある側溝沿いの畑で作業をしているおばさんに「一里塚はどこにありますか」と声をかける。「街道の東側に一里塚があるのよ。おばあさんがそう話していたよ。」と街道の両側に塚があるとは知らなかったようだ。

  
 8時18分、今市市へ入る。「そばのまち今市」「杉並木の街今市」と看板が出る。車はY字の左手へ行くが、杉並木を直進すると左手に「杉並木寄進碑」が建つ。松平正綱公が建てた日光の神橋などにある4ヶ所あるうちのひとつ。車が通行しないと静かだ。


龍蔵寺

龍蔵寺の六尺藤
自転車を押すおじさんに話を聞きながら、8時53分、大沢信号十字路通過。バス停「下大沢」の右手にある大路神社の先の「龍蔵寺の六尺藤がいい頃だ」とおじさんに教えていただいた場所を探す。太さ・根廻2.6m、高さ1.8m、枝ぶり14m×12mの素晴らしいもの。明治36年(1903年)に第34代住職が山藤を植樹したものという。

  
 
 杉並木に戻る。このあたりは流石に、幹の太さもさらに太く、朽ちているものも目立つ、ド迫力の杉並木道である。左下に赤前掛けに赤頭巾をかぶった仏像が建つ。錫杖らしいものが仏像の頭の横に頭巾の隙間から見える。

赤前掛けに赤頭巾をかぶった仏像

来迎寺


9時28分、水無(大沢)一里塚、江戸から32里(128km)地点。杉並木が一時途切れた角に、小屋掛けの「延命地蔵」。多数の小仏群が左右に建つ。杉並木の周囲は大谷川の支流赤堀川で水が豊富だ。下森友の右手に来迎寺、入り口左手に4体の仏像があり、すべて右ひざを立て、頬に右手を添えるポーズ。杉並木に入ると「特別保護地域」の看板が建ち、一方通行だが車を通しているところがあり、保護しているとはどう保護しているのかが理解できない。
  

 やがて七本桜信号に出る。手前に七本桜の一里塚(並木ホテル)があるはずだが、見つけられなかった。江戸から33番目の一里塚で塚の上に大杉が立ち、それが大人4人ほども入れるほどの大きな空洞があり、それで並木ホテルといわれていた。

「追分地蔵尊」
地元の方に話しても「そんなのはないな〜。」すでに切り倒したのか?

 お蕎麦のおいしい食堂があると聞き、11時20分「まつもと食堂」で昼食をとる。山菜の天ぷらに手打ち蕎麦を所望する。天ぷらは程よい苦味があり、美味であった。ビールは後が辛いので、じっと我慢。

 逆Y字角に高さ2mの石造り坐像「追分地蔵尊」がある。

 
 この先から突然今市の商店街がしばらく続く。創業天保13年の造り酒屋渡辺佐平商店を左手に通過。春日町交差点通過、左手は今市インター、右手は鬼怒川方面へ。右手に「今市宿市縁ひろば」今市宿碑が建つ。右手に如来寺、浄泉寺と続く。浄泉寺は境内に子供の夜泣き信仰厚い沢蔵司稲荷(子育て稲荷)があり、又今市が蕎麦縁の発祥の寺だとか。再度杉並木が始まり、左手の瀧尾神社から先瀬川の一里塚まで右手に杉並木公園が続く。杉並木公園は、日本や世界の水車群が点在しているが先を急ぐので寄らずに直進する。このあたりは従来の杉並道とは異なり、自然の土の道で足に優しい。


 13時10分、仕事の電話で歩きを一時中断、左手に瀬川の大日堂があり、小石仏群が並ぶ。延宝・元禄時代(1673年〜1704年)にはすでに存在したらしい。13時45分右手に野口薬師堂。手前に石造りの鐘楼が置かれる。十九夜塔、道祖神が並ぶ。この先で国道119号線に合流し、車の往来が激しくなる。実はこの前から携帯電話の電源が切れ、連絡用の公衆電話を探しながらの歩きだった。並木太郎、明治天皇七里小休所、異人石を過ぎる。700mもいくとJR日光線のガードをくぐる。相生町交差点の右手はJR日光駅、14時45分ついに東武日光駅に到着。ようやく公衆電話を見つけた。携帯電話を使えない不便さを始めて味わったが、この先電車内や駅舎のホーム上もとても不便な時代になったものだ。

 
 日光東照宮まで2kmを残し、東京に帰ることとなった。6時50分から約8時間、23kmは歩いただろうか。「旧日光街道を歩く」だけだとあと2kmだが、「旧日光街道・奥の細道を歩く」なので、まだこれから先が続く・・・。
 ところで、芭蕉は日光の前は栃木市惣社町に鎮座する室の八島明神(大神神社)に参詣(陽暦5月18日)した。その後、壬生・楡木を経由し、鹿沼に一泊、例幣使街道で日光に合流している。東照宮、裏見の滝を見て、戻り含満ヶ淵へ足を運んでいる。次回は芭蕉の足取りを追って、芭蕉の追体験歩きの予定だ。
(2006.5) 


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写真の位置




開墾記念碑  004
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林檎畑に変わる 008
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地蔵尊がある  016
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「杉並木寄進碑」020
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車が通行しないと静かだ。  021
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龍蔵寺     024
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六尺藤     027
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杉並木に戻る。   040
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赤前掛けに赤頭巾をかぶった仏像 029
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来迎寺      037
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「追分地蔵尊」  046
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酒屋渡辺佐平商店 049
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沢蔵司稲荷    056
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瀧尾神社     058
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瀬川の一里塚   060
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大日堂      063
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野口薬師堂    068
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並木太郎     072
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東武日光駅    073
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