マツノヒデマサの
日光街道・奥の細道を歩く

日光街道を歩く 第4回
杉戸宿〜古河宿
2006年2月22日

 トリノ冬季オリンピックの女子フイギュアショートプログラムが始まった2月22日、日本時間5時にチラッとテレビを見て、自宅を出た。前回の最終地点、杉戸宿に向かう。JR南越谷駅の目の前、東武伊勢崎線新越谷駅構内1階の「ヴィドフランス新越谷店」で朝食を採る。焼き上げのコロッケパンとチーズなんとかパンにコーヒー。レンジで温めたのでコロッケパンは失敗、「じっくりと発酵させたデニッシュを生地にコクのあるなめらかなクリームチーズを包んだチーズなんとかパンは正解だった。ここで常備薬の血圧降下剤と漢方薬を服用する。

     
                 
小島宅旧家屋と土蔵

 8時35分、東武動物公園駅を下車、古利根川を渡り旧日光街道の「本陣跡地前」交差点を左折する。20日ぶりの再訪。天候はどんより。右手に旧家屋の渡辺金物店、右にカーブして左手に小島宅旧家屋と土蔵などいくつか旧家屋が残る。

宝性院 
 左手の宝性院は、永禄3年(1561年)幸手城主一色宮内大輔義直が亡き妻の追福菩提の為に一宇を建立した。その後成田山・菅谷山とあわせ3体の不動明王を祀っている。8時55分、山門右手にある不動堂を参拝する。

 すぐ右手に渡辺廣太郎(勘左衛門)宅の旧家屋・土蔵が見事だが、奥の土蔵の造りは新しいように見える。300m先で4号線と合流。「大島」9時19分通過、6分も行くと幸手市に入る。Y字路「上高野」信号、右手は(三菱)CAR PLAZAを左折、旧道を行くとじきに御成街道との合流点「志手橋」に着く。右手に宝暦5年(1755年)に伊勢神宮の分霊を祀ったと言う神明神社とたにし不動尊。境内にはここでも成田山と菅谷不動尊(たにし不動尊)と三体を祀っている。特にたにし不動尊は、眼病にご利益があると信じられてきた。ドライアイの私はまじめにお参りする。ここにかつて高札場があった。隣接して祭り山車倉庫「助町山車庫」がある。一時晴れ間が見えた。


「日光道中」石碑と樹齢450余年の槙の大木

巨大な石灯篭が鎮座する
 
 次の信号を左折すると東武日光線幸手駅。このあたりが幸手宿の中心地だ。左手に「永文商店」酒店で、旧商家造りだ。対面に奥行きが広い平井家、関薬局旧宅など旧宿場の雰囲気が残る。「荒宿」を過ぎて100mも行くと、急カーブの正面突き当たりに巨大な石灯篭が鎮座する。正福寺(香水山楊池院正福寺)の参道だ。江戸時代に学問研究や弟子の養成する常法談林(じょうぼうだんりん)で、当時49ヶ寺の末寺を持つほどの格式を備えた寺だった。ご本尊は不動明王。境内に寛政12年の刻印がある「日光道中」石碑と樹齢450余年の槙の大木がある。枯れた槙の洞内に二代目?の若木が枯巨木を支えている。本堂は鉄筋造りの白塗り壁だ。 右手奥に桜堤が見え、しばらく並行して歩く。行幸橋を渡り、マエザワ(鉄工所)をすぎて、「外国府間(そとごうま)」信号を通過。次の信号を左折し、すぐの十字路の狭い道を右折すると、右手に安政4年(1775年)日光街道と筑波道の分かれ道に建てられた「日光街道道標」が立つ。

日光街道道標

小右衛門一里塚と弁財天
ここからはしばらく右手の国道4号線の土手下旧道を歩く。お腹がすいてきたが、こんな旧道に食事処があるわけがナイ。真光寺に隣接して、小右衛門一里塚と弁財天が祀られている。一里塚は幸手と栗橋宿の中間地点で江戸から14番目の一里塚だ。  

野本食堂 
11時45分、新幹線高架をくぐる。ストリップ劇場の「栗原大一劇場」を過ぎてから、食事場所を探して4号線沿いに移動する。「なーんだ国道沿いにもレストランらしきものは見えないな」と思ったとたん、突然食堂「野本食堂」が現れた。ここで秋刀魚の塩焼きとほうれんそうのおしたし、豆腐とネギの味噌汁に大盛のご飯。この店の裏手に「見返り稲荷」があると女将に教えていただいた。3月5日(日)に見返り稲荷初午祭が開催され、甘酒と赤飯が振舞われるという。昨年は旧道を歩いていた人が7名参加したとか。

   
                  
 見返り稲荷

500m歩くと広い道になり、右手に旧商家造りの米屋や畳屋が見え、宿場の香りがしてきた。続いて阿弥陀如来像をご本尊とする顕正寺に着く。慶長19年(1615年)の建立。掲示板に「病んで気づく世界あり 老いて味わう境地あり」の言葉が目を引く。13時06分「栗橋駅入り口」信号を通過。左手奥に福寿院が見える。直進して左手によろづやの旧家屋橋原屋があり、対面に栗原商工会館に入り「観光Map」をいただいた。

   
                    
八坂神社

 突き当たりに八坂神社に出る。境内にはおばあちゃんに連れられた3歳くらいの女児がお散歩で、人懐っこく寄ってくる。「この辺は小さい子供がいなくて友達がいないのよ」とおばあちゃん。境内右手に神輿庫がある。暴れ神輿で有名らしい。右手に回り込んで、長〜い利根川橋を渡り、茨城県古河(こが)市に入る。
 橋を渡ってすぐに左折し、火の見櫓の角に「中田宿」の案内板が立てられている。右折し、左手に鶴峯八幡神社、続いて弘法大師が建立し、静御前ゆかりの寺とされる光了寺、木造聖徳太子像を寺宝とする高柳寺、国光寺、本願寺、顕正寺と寺が続く。

14時08分、東武日光線日光街道踏み切りを渡り、単調な道を歩く。右手は雑木林、東武線が平行して走る。歩道の花壇工事中でコンクリを敷き詰めて花壇を造っているが、木造ではだめなのか?この田舎もこうして大都市を目指してアスファルトやコンクリで固めた街づくりをしているのかと悲しくなる。

火の見櫓の角に「中田宿」の案内板
左手奥には、古河総合公園があり、昭和26年に古代蓮の実を発掘して復元した「大賀蓮」(発掘した大賀一郎博士の名を取った)で有名。開花時期は7月〜8月。


樹齢345年の大銀杏

日本3大長谷観音参道

14時38分、古河第二中学校を通過。あと東武線二駅で古河駅らしい。県立古河第二高校の体育館がとても豪華だ。左手に浄善寺、西からの逆光で写真が難しい。境内に樹齢345年の大銀杏がそびえる。対面に「日本3大長谷観音参道」の石碑が目を引く。3大では相当大きいのかと、70mほど西へ行ったがとても見えそうもなく足も痛いので、諦めた。背丈2m余の十一面観世音菩薩立像が安置されている。鎌倉の長谷観音より勧請したもの。近くに古河歴史博物館もある。古河宿に入り、清水屋菓子の先に、「史蹟 古河城御茶屋口内跡」石碑あり。昭和初年創業和菓子屋釜屋商店で古河銘菓「八萬石最中」「桃苑」をみやげに購入した。ここの親父さんは昔の古河藩時代の地図を見せてくれたり、古河城が大正時代、渡良瀬川改修工事のため取り壊されたことなどを説明してくれた。

       

 ここから200m先の信号を右折すると古河駅に出る。15時15分到着。午前8時30分に杉戸宿をでて約7時間、精神力で相当がんばって、幸手宿、栗橋宿、中田宿、古河宿と4つの宿を繋いだことになる。
(2006.2.22)
 


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写真の位置は、


小島宅旧家屋と土蔵  004





宝性院        005






巨大な石灯籠   18






「日光道中」石碑と樹齢450余年  20






「日光街道道標」  24






小右衛門一里塚と弁財天 30





野本食堂    031






見返り稲荷   034






八坂神社    040





中田宿     042





境内に樹齢345年の大銀杏   050





「日本3大長谷観音参道」    052






「史蹟 古河城・・・」     053






古河駅             056