2006年2月1日(水)午後自宅を出て、東武伊勢崎線越谷駅で降り、旧日光街道に立つ。前回の到達点の場所14時25分。天候は予報通り、まだ小雨が降り続いている。傘をさしながら、本町商店街(鍛治屋商店)の左手のよろづ屋など何軒かの旧家屋の写真を撮る。30分も歩くともう足元はずぶぬれだ。旧東海道を歩く頃から履きとおしているシューズの底が磨り減っている為か、すぐに雨が滲みてくる。北越谷駅まで我慢をし、雨天をしのぐ方策を考える。
春日部に温泉施設があることを知っていたので、雨が上がるまでそこでしばらく過ごすことにした。かすかべ湯元温泉へは、東武伊勢崎線せんげん台駅西口から送迎バスに乗っていった。同乗したおばさんに「割引券はあるの?」と聞かれたので、「インターットの紹介で2,300円が1,000円で利用できるようです」というと「あら、同じ料金ね」という。「何だ、地元の人たちは安く利用できているんだ」。受付では月曜・水曜は600万人達成記念で「1千円で割引セール中です。」という。温泉大浴場、露天風呂、水着派のテルメが1階に、2階にはマッサージルーム、ゲームコーナー、レストルーム、食事処などがある。温泉は弱アルカリ性単純泉で加温・循環・塩素殺菌をして、塩素臭がする。宿泊も相部屋で2,000円追加でできるというが、一旦チエックインすると出られない。ずぶぬれの靴を何とかしなければならないので、入浴だけにした。
よろず屋
16時40分の路線バスに乗り、春日部駅へ向かう。雨はまだ降り続ける。途中、今夜の宿泊地を素泊まり4,500円という料金の安さから、東口にある「藤屋旅館」に決めていた。西口から140円のキップを買い、東口に移動する。ヨーカ堂の靴売り場でシューズを購入する。ずぶぬれなので、靴下を履き替えて試着という店泣かせの客だ。傘は風で壊れたりのさんざんな一日だった。夕食は「養老の滝」で済ます。藤屋旅館は道路の両脇にある旅館で、かつて駐車場だったところに建てた新館だった。2階の真新しい6畳和室でテレビと大きな鏡付。部屋を出るとすぐに洗面所、暖か便座トイレ。一階には浴室もあるが、温泉に入ったのでここはパスした。 |
「藤屋旅館」 |
2月2日(木)5時前、若者の話し声で目覚め、仕方なく起きて洗面の後、出発する。春日部から昨日の北越谷駅に戻り、5時50分に繋ぎをスタートする。しばらく東武伊勢崎線にそって歩く。まだ薄暗い中、散歩中の人と出会う。腕を左右に強く振って歩く人、逆はハの字に両腕を挙げて歩く人・・・。異様な姿も薄暗さで気にならない。三叉路右手「ホンダプリモ」を通過、高架国道4号線バイパス道をくぐり、「下間久里」交差点を6時34分。20分後「せんげん台」を過ぎると春日部市へ入る。
大枝香取神社
左手に大枝香取神社、左手に「竹里観音」で知られる歓喜院がある。村の鎮守らしく松の古木が二本残る。備後6丁目に入り、デニーズ竹里店で朝食をとる。客はまばらで窓側に席を取る。野菜が10種も入ったザ・ベジタブルモーニング、焼きたてカンパーニュにダージリン紅茶。音楽に身を包まれ、優雅なひと時だ。風が強かったので頬が張っていて、食事中にようやく緩み、足指や首から上が上気し次第に体が熱くなってくる。
7時50分店をたち、東武野田線の高架をくぐる。このあたりは車屋さんが多い。8時37分「一宮」交差点を左折し、旧日光街道粕壁宿へ。 すぐ右手の東陽寺山門が目に付く。文明年間(1469年)前後の開創で、ご本尊は薬師如来像。寛永元年(1624年)、大火で消失した。芭蕉が泊まった寺で知られ、記念碑が建つ。 |
東陽寺山門 |
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東陽寺本堂 |
さらに進むと土蔵造りの旧家田中家前に道標が立つ。赤いポストが旧家に似合う。100m先の左手が春日部駅東口になる。信号を渡ると右手に「丸八商店」奥に旧家が残る。訪ねて話を伺う。
「江戸末期からの11代目です。奥の家屋は関東大震災後の建築で、土蔵は明治24年の建築です。」続いて、慶長年間創業の米穀屋永嶋庄兵衛商店は今も同業で健在だ。 |
土蔵造りの旧家田中家前に道標が立つ
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米穀屋永嶋庄兵衛商店
昨日宿泊した藤屋旅館はこの近くであるはずと寄り道をする。壊れた傘を忘れたので取りにいくことにしたのだ。女将さんが表を掃除中で、私の姿を見て「あら、傘を忘れていたわよ」と声をかけてくれた。今午前9時頃なので、午前5時過ぎに宿を出たので、宿とは4時間ぶりの再会ということになる。「旧日光街道に近いのだから、藤屋旅館と日光街道との関わりの記述を記した宿のパンフレットを作って欲しいと要望して女将さんと別れた。
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景勝院 |
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隣接した成就院 |
旧街道に戻り、本堂西側の丘陵に鎌倉時代の領主で南朝の臣、春日部重行を埋葬した景勝院、隣接した成就院を参拝する。このあたりは粕壁で寺町と呼ばれ、寺が多かったという。成就院山門は見事な作りで。両脇のあうんの不動明王像はとても力強い。
一庵坊と庚申塔
この先のY字路を左へと行くが、これがこの先の間違いの出発点だったようで、この先4キロに渡って旧日光街道とずれて西側を歩いたことになる。しばらく東武野田線に沿って歩くが、自動車修理工場の親父さんに道を教わり、軌道修正をした。農道を東進し、しばらく田んぼや畑を見ながらの歩きが続く。10時50分、宮代町立東小学校の前の一庵坊と庚申塔に出る。
元禄10年(1697年)の記録が残る。大落(おおおとし)古利根川を渡り、杉戸町の「清地2丁目」交差点を左折して、旧道に戻る。右手に「関口酒造 杉戸宿」の看板に吸い寄せられる。文政5年(1822年)創業の造り酒屋で7代目の関口博正氏にお話を伺う。
「関口酒造 杉戸宿」 |
今川義元の家老だった家柄で初代は1670年に亡くなったという記録があるそうだ。「豊泉」の銘柄のお酒がメインで、「本醸造 杉戸宿」の銘柄のお酒を記念に購入した。「この地方の水は鉄分が多く、よい水に恵まれなかった。昭和38年に埼玉には72軒の造り酒屋があったが、今は31軒になってしまった。」と振り返る。
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関口酒造 |
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職人技 |
「本陣跡地前」交差点で左折すると東武動物公園前の駅がある。その途中に老舗うなぎの天ぷら屋「高橋屋」があるというので、目指す。橋のたもとに立つ旧家屋を残す料亭だ。4代目の高橋明宏氏が板前で、昨年5月に東京築地での修業を終えて、戻ってきた。初代滝吉氏が古利根川で取れたうなぎを天麩羅にしてメニュに出したのが初めてとか。 |
天ぷらうなぎ屋「高橋屋」 |
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奥に昭和4年に移転して以来の旧家屋でお座敷を受けている。この建築物に当時の棟梁の気概を持って作られた職人技をもつことができる。 庭の桜の時期には2階からの眺めがすばらしいと教えてくれた。
徒歩3分で東武伊勢崎線東武動物公園駅に着く。ここから乗車し、北千住経由し都内で用事をすませて帰着する。旧日光街道ぞいの地元の方は、旧道についてほとんど興味や関心を持っていないので、旧道を歩く人たちの便を考えるとか、そうした客層を取り込むとかは全然考えていないようだ。(2006.2)
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