午前4時に目が覚め、その勢いで5時02分の電車で東青梅駅を発つ。前回歩いた場所の千住に午前7時に到着する。前回見逃した本陣跡の碑を確認し、北上する。槍かけだんご「かどや」がもう準備をはじめていた。昔からのだんご屋だ。
前回見逃した本陣跡の碑 |
槍かけだんご「かどや」 |
150年ほど前の建築と言われる旧商家横山家を過ぎ、さらに右手に「骨接ぎの名倉」で有名だった名倉医院がある。入り口の駐車場に鍵が掛けられ、奥の旧名倉診療所のそばに近寄れない。戦前に治療に日時がかかるので、門前に患者専用の宿屋が5軒もあったというから驚きだ。
荒川の土手に突き当たり、上に登ると快晴だが、強風が肌に冷たい。この頃から陽が当たりだした。左手に見える千住大橋を渡り、左折してお寺の角を右折し旧道を北上する。この当たりの旧道沿いには、史跡はないようだ。東武伊勢崎線梅島駅手前の吉野家で豚キムチ丼と味噌汁で朝食を済ませる。
千住大橋 |
7時30分で客足はまだ遅い。ここから北西2kmのところに有名な厄除け開運の寺で西新井大師がある。天長3年(826年)弘法大師建立の寺で、十一面観音と大師自像を彫りこの秘仏を本尊としたもの。芭蕉は立ち寄ってはいない。8時14分に島根鷲神社入り口を通過。西保木間で緩やかな右カーブを行き国道4号線を横断し、左折する。けなし川を渡り埼玉県草加市に入る。
8時55分、ジョナサンで30分ほど休憩を取る。史跡が何も無いというのも、旧道の確認ができないのとメリハリが無く面白くない。谷塚駅前の角に浅間神社がある。吉野5丁目信号角に火あぶり地蔵尊、向かいに草加せんべいのいけだ屋。このあたりから草加せんべいの店が目立ってくる。
ムサシ建設工業のY字路を左折、左手に草加市役所があり、信号角に浅古家の地蔵堂が。江戸の豪商浅古氏が子育て地蔵尊として祀ったもの。
信号角に浅古家の地蔵堂 |
火あぶり地蔵尊 |
市役所に入り、「今様 草加宿ガイドブック」をいただいた。草加宿、慶長11年(1606年)、江戸幕府の命を受けた大川図書がそれまで大きく東に迂回していた日光街道の千住・越谷間をまっすぐにする新道の開設に着手し、新しい宿場をこの地に設けたことから始まった。今年が400年目の節目に当たる年で、そ「今風の、現代的視点で、再生していこう」と作られた資料で、芭蕉足跡の貴重なものだ。
宿場風情を表した小公園「おせん茶屋」を過ぎて、左を見ると大きなお寺・東福寺が見える。本堂前に大きな白い犬が二匹寝そべっている。本堂・山門・鐘楼は江戸時代後期の建築物。境内には大きな3本のソテツ。本当にせんべい屋が多い。草加には21店舗のせんべい屋がある。
ここで一句
「こだわりの 味をきそう 草加せんべい」 |
東福寺 |
神明社を過ぎ、突き当りを左折し、伝右川を渡ると右手に札場河岸公園。手前に木造五角形の建物・望楼、正面に芭蕉像。ここから綾瀬川に沿い1.5kmの松並木、千本松原と呼ばれ600本もの松が植えられている。
「月日は百代の過客にして 行きかふ年もまた旅人なり」松尾芭蕉 昭和62年建立 札場河岸公園 |
太鼓橋の矢立て橋、百代橋を渡る。百代橋の階段の途中に上下各3の大名行列などのタイル絵が飾られる。最高部からの松並木の眺望が素晴らしい。橋の手前に「橋名由来」碑がある。
「月日は百代の過客にして 行きかふ年もまた旅人なり 松尾芭蕉 奥の細道」昭和62年の建立
太鼓橋の矢立て橋、百代橋を渡る |
芭蕉のタイル絵「芭蕉・河合曾良像壁画」 |
百代橋の階段の途中に上下各3の大名行列などのタイル絵 |
松並木の後は桜並木が続く。切れたところで東京外環自動車道下のガードをくぐる手前に、小屋かけの水神、千手観音坐像と立像が2体祀られている。ガードをくぐると左手に芭蕉のタイル絵「芭蕉・河合曾良像壁画」が3面描かれている。綾瀬川は左へカーブをきる。あやせばしを渡って、越谷市へ入る。
しばらくすると、右手に照蓮寺がある。
ご本尊は地蔵菩薩坐像で83.5cmの木造寄木造り、江戸中期の作という。
境内には千徳丸供養塔があると知りぜひ探したかったが、法事の供養で大勢の人達がお墓の周辺に群がっていたので、諦めた。この地、亙曾根秋山家のご先祖は、甲斐武田家秋山信藤、その子長慶は、天正10年(1582年)武田家滅亡の折、勝頼の遺児千徳丸を伴って亙曽村に潜伏した。まもなく千徳丸は早世したが、悲しんだ長慶は照蓮寺の住職となり、その菩提を弔った。 |
照蓮寺 |
寺の先Y字路を左折する。本陣や脇本陣跡碑があると聞いていたのだが、探せずに越谷駅入り口の交差点まで来てしまった。通行人の男性に聞くと一本東の通りを戻ったところに神社があると言われたが、それも判らなかった。私の準備不足に忌々しい。
越谷駅 |
12時30分東武東上線越谷駅に到着。隣のJR新越谷駅で乗り換え、武蔵野線で西国分寺経由中央線・青梅線で帰宅する。今日は千住宿から越谷宿まで5時間半を何とか歩き通した。今の私の脚力では、この辺が限度と知る。(2006.1.20)
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