温泉巡浴500湯 達成を記念して
     1990. 松野英昌        

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温泉巡湯500湯達成を記念して      松野 英昌

昨年(1989年)8月10日、敦賀トンネル温泉国民宿舎つるが荘に宿泊し、ひとしお感慨深く入浴しました。500湯目でした。この年の家族旅行は、青春キップに挑戦!をスローガンに鈍行列車でのんびり琵琶湖から日本海に抜けて大山に登山、更に南下して瀬戸内海で泳いで帰ろうと言う、恐ろしく雄大な旅行でした。 敦賀に来る前に、早朝琵琶湖のさいかち浜水浴場でひと泳ぎし、長浜まで歩いて昼食をとってこの土地のパンフレットに目を通すと、長浜に温泉マークがありました。家族を待たせて、この長浜太閤温泉に馳せ参じました。思いも掛けない499湯目でした。敦賀の松原海水浴場での時間ももどかしく、記念すべき500湯目にふさわしい湯だろうかと気になっていました。その夜は、家族の協力があってこそのものと、感謝をこめつつ乾杯!

 そもそも、温泉巡浴なるものを思いついたのは、仕事上、やむをえず考えた末のことでした。私が27才(1977年)結婚した年に、それまで勤めていた所から転職して、旅行代理店に移りました。東京都世田谷区経堂の営業所勤務で、中野区や練馬区の老人会を対象とした新規開拓の仕事でした。営業の相手は、人生経験は私の3倍はあろうかと言う百戦錬磨のお爺さん達でした。こちらは右も左も判らぬ新米でしたから、どんな話題で時を過ごそうかと冷や汗ものの毎日でした。何せ。お客様はよく行く温泉のホテルのならびや格まで知っている訳ですから、これだけは負けまいと言うものが欲しかったのです。 その年に、これまで巡浴した所を数えてみると50ヶ所にも満たないものでした。その後、1979年66、1980年153、1980年153、1981年230、1982年252、1983年285、1984年326、と徐々に記録を延ばしていきました。
 当時、小田急電鉄の観光バスよく使用しており、ガイドさんで「私はあんたの生まれる前からガイドをしているんだからね。」と言っていた超ベテランのAさんがいました。

 仕事でいっしょになったホテルでの夕食後、「じゃあ・・・私も数えてみよう。」と全国地図を広げて、赤ペンで印を付けはじめました。結局、200ヶ所程でした。彼女でさえこの程度なのだな。と一層カクシンをもって励むことにしました。

しかし、記録への挑戦は、時には修道僧のように、悩み苦しむ試練を得なければなりません。たまの休日に、一泊二日の巡浴旅行にでかけます。できるだけ温泉がかたまっている地区を軒並みはしご湯で入りまくるのです。時には、19ヶ所の入浴を記録したこともありました。

5〜6ヶ所も入浴すると、手の指がカサカサになり、そのうちひび割れてきます。ぐったりと疲れてもきます。 「なんで、こんなバカなことをしているんだろう。」とよく思ったものです。1985年351、1986年394、1987年445と更に伸ばし、ここまでくると、あと500まで目前だから頑張ろうと己に叱咤激励してきた次第です。

  
 車では入れない温泉も攻めなくてはならないので、学生時代以来久しかった2〜3000m級の登山も家族ぐるみでまた始めました。そのうちに、どうせ登るなら深田久弥の日本百名山をめざすこととし、1990年現在24岳を数えました。深くのめり込むうちに次々し新しい分野と視野の目標が現れるものです。 1978頃年二泊三日の老人会で福島県の新甲子温泉に行ったときのことです。ここは山間の行き止まりで、滞在型の旅行なのです。実は、この温泉は二キロ奥の1軒宿甲子温泉・大黒屋から引湯しているのです。何とかこの大黒屋に入浴するために、500円の入浴料とマイクロ送迎料(小型車でないと通行不可)でオプション募集して目的を果たしてきました。底の深い大きな混浴湯舟の真ん中に沈む子宝岩、子宝に恵まれると言う由来はとても印象深いものでした。

 また、青森県の八甲田山の麓にある酢ヶ湯温泉がありますが、ここは何度か休憩で小休止することはあっても、なかなか入浴する時間がなかったのですが、三度目かにようやく念願が叶ったときの事です。体育館のような広さの大浴場で、打たせ湯や蒸し風呂もある混浴なのです。この宿自慢のヒバ造りの湯舟にゆったりと入っていると、すでにいる男達の視線がどうもチラチラリと洗い場の所に集まっているのです。見ると、なんと、若い白人女性が、堂々と御身を洗っているところなのです。そのうちに、立ち上がって湯舟に入ってきました。いや、その動作振舞いがじつに美しい。混浴は日本だけの習慣と思っていたが、温泉ブームは遂にここまで来たかと思い知らされました。

 大学時代の友人の依頼で、全国の労働組合など諸団体の機関紙に月1回のペースで「異色の温泉宿」を記事を書いたことがありました。時間に追われながら、最新の情報をと言うので取材に駆け回ったりしました。富山県の庄川畔対岸に連絡船で30分乗らないと行くことが出来ない1軒宿の大牧温泉ホテル。合掌造りで知られる五箇山の合掌造りの温泉共同浴場。紹介した後に、火災で消失して一時営業停止してしまった群馬県の湯の平温泉。今なお、茶の間の囲炉裏でおばあさんが迎えてくれる山形県・白布温泉の中屋旅館。わらじを履いて20分なだらかな岩盤を登る、知床の秘湯カムイワッカの滝。どれも、忘れられない思い出です。

 1988年8月、所属していた山岳同好会で白馬岳二泊三日の山行に参加しました。日本高所第二位の白馬鑓温泉(2100m)が目的でした。猿倉から入り白馬尻に一泊。翌日ここから雪溪を抜けて山頂を極め白馬山荘泊まり。3日目は鑓ヶ岳から鑓温泉に入り、猿倉に戻ると言う予定だった。延べ歩行13時間のコース。鑓温泉には多分今回が最初で最後だろうなと思いながら順調に進んでいたが、3日目の朝、リーダーが体調が思わしくないと言うので、小蓮華山から白馬大池を抜け、栂池に至るルートに変更してしまったのです。いやー。がっかりしました。さらに、白馬大池から1.5時間もいくと蓮華温泉にいけるというすぐそばを通るというのにグループ行動なのでじっとガマンの子なのでした。結局、長年の念願だった鑓温泉は無念の温泉になりました。一体何のためにこの山行に参加したのだ。と怒りがこみあげて来たものでした。1月末現在、536湯を数えて、今年の目標は600湯にして今どう攻めるか、構想を練って楽しんでいるところです。今年は中央アルプスの木曽駒ケ丘・御岳山あたりを中心に登山と温泉を攻めてみようと思っています。長女の藍は中学で忙しくなるし、次女の薫は登山を嫌がって居るから、家族揃っての挑戦は難しそうですが、1歩ずつ自分の記録を積み上げていくつもりです。


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